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テクノロジーから見た人間 -人間 vs AIとは別のシナリオー

今回は少し別の観点から話を広げ、若干SFのような話をしていきたいと思います。
少し難しいというか、ややこしいと思って書くことを躊躇っていましたが、今回のテーマはいつか取り上げたいと思っていたので、試しに書いてみました。
(今回の図解は少なめです。。。)
最初は人間の観点からテクノロジーを考えていきます。

■テクノロジーVS自然
人間が持っている、テクノロジーと自然の対立概念はいつ生まれたのでしょうか。
僕たちは、人間がテクノロジーによって生み出した人工物は、自然と相入れないという感覚はなんとなく持ってはいますが、その感覚がなぜ起こっているかはうまく説明できません。
ぼんやりと思うのは、例えば自動車(人工物)の排気ガスが空気を汚くするとか、工場の排水が水を汚くするとか、自然破壊にテクノロジーが関係していると感じるため、テクノロジーVS自然という構図になるのでしょうか。

以上のように、テクノロジーと自然について抽象的な問題提起をしてきましたが、僕の結論を最初に言いたいと思います。結論は、人間も技術も全て「自然」である、ということです。つまり、対立は存在しないということです。

■全ては自然である
人工物と自然が相容れないという話がありましたが、この話はどこから来たのでしょうか。
ソラリスの陽のもとに」などの作品で世界的に知られるSF作家、スタニスワフ・レムは、ある随想の中で、次の問題提起をしています。

我々は、森の中で蜂の巣を見つけたとき、その美しい六角形の幾何学模様の巣の形を見て、「自然の造形は、なんと美しいのか」と感じるだろう。そのとおき、我々は、それを「自然」の営みと思い、決して「蜂工」とは思わない。しかし、我々は、人間が作ったものを「人工」と考え、自然が作ったものを「自然」と考える。それは、なぜか?

この問題提起に対して、多摩川大学大学院の田坂広志教授は以下のように説明してます。
欧米文化においては、「自然」というものは、常に「人間」の科学や技術によって「征服」されるべき対象であったからである。そのことが、「自然」と「人工」を対立な概念とする思想を生み出してきた。
*1 Forbes Japan 2017年3月



人工とは人間の視点からしか見ていないものであり、宇宙全体から見ると、自然に過ぎません。なぜなら、人間も自然が創り出したものであり、人工物とは、自然が創り出した人間の創出物であるためです。

■人間とテクノロジーの類似点
確かに、人間も人工物(テクノロジー)も似ている点があります。
人間とテクノロジーを、動作系、伝達系、知能系に分けて比較します。

・人間
 動作系:筋肉、伝達系:神経、知能系:脳
・テクノロジー
 動作系:デバイス(モーター等)、伝達系:回路・ネットワーク、知能系:AI(アルゴリズム)
 
系

 
今までのテクノロジーの進歩は、多くが人間で言う動作系の進歩でした。例えば、移動手段として自動車が登場した後には、人間が集まって全力でリレーをしても勝ち目はありません。自動車は長距離移動の速さの観点からいうと、明らかに人間の能力を超えて います またショベルカーを操作して重い土砂等を動かす時も人間の筋力の限界を超えています。このように、何かの動作に関しては、そもそも両者は動作をする部分をもっているという興津店があり、人工物はすでに人間を超えています。
次に伝達系を比較します。人間では、この部分は神経に該当しますが、テクノロジーの場合は、近年ネットワーク(IoT)の進歩が目覚ましいです。たくさんのセンサを用いて、インターネットにモノを繋ぐことは、人間の体内に神経を張り巡らせることと似ています。大量のモノからデータを取って、それを中枢にフィードバックしていくこと、 これは人間の体中に存在する神経という名のセンサーから、様々な感覚を中枢に伝えていることと同じです。
知能系に関しては、人間の脳に該当します。テクノロジーでは、人工知能が該当します。近年バズワードにもなったディープラーニングは脳神経の構造に非常に近いニューラルネットモデルを使用しています。

以上のように、それぞれ系として分けて考えましたが、今度は、動作系、伝達系、知能系をトータルで考えていきましょう。知能系で下した判断を、伝達系を通して動作系に作用させるのが、通常の流れですが、今回は「自律分散システム」について焦点を当てていきたいと思います。

■自律分散システムにおける共通点
一般に、システム全体を制御する方法として、二つの対照的な考え方があります。1つは、システム内に1つの中心を設ける、集中管理的・中央集権的な制御方式です。この方式は、中心があらゆる部分の動きに対応しながら、全体から集めた膨大な情報をもとにしてシステムの各部分に逐一指令を出し、全体を制御するという考え方です。
その対極にある考え方が、自律分散的な制御法と呼ばれるものです。それは各部分の自律的な動きや、それらの間に自動的に生まれる協調性をできるだけ生かそうとする制御の考え方です。中央による制御をできるだけ控えめにして、システムに備わっている自律的な能力に大半をゆだねるようなやわらない制御が、自律分散制御(システム)です。

・集中処理と分散処理
この自律分散システムを身体実験として表現したものの中に、「除脳ネコ」の実験があります。除脳ネコとは、中枢神経のうち、脳幹と脊髄とを合わせた部分を脳の他のすべての部分から切り離したネコのことです。通常、脳の助けがなければ、ネコはあることはできません。しかし、除脳ネコでも、歩くためのトレーニングをすれば、歩けるようになることがわかっています。これは、ネコが脳の助けを借りずに、脊髄だけで学習できることを示しています。経験を通じて脊髄の神経ネットワークの構造が変化し、運動能力を回復するのです。絶えず変化する感覚情報を脊髄が末梢神経から受け取り、それによって瞬時に身体運動を調整することができるのです。


これは、テクノロジーの世界ではエッジコンピューティングに似ていると思います。
エッジコンピューティングとは、ユーザーの近くにエッジサーバを分散させ、距離を短縮することで通信遅延を短縮する技術です。場合によっては、エッジサーバーは中央のサーバーに処理を依頼しなくても、スマートフォン等の端末に処理情報を返すこともできます。まさに脊髄反射です。スマートフォンなどの端末側で行っていた処理をエッジサーバに分散させることで、高速なアプリケーション処理が可能になり、さらにアルタイムなサービスや、サーバとの通信頻度・量が多いビッグデータ処理などにこれまで以上の効果が期待できます。
このエッジサーバに該当するのが、動物の「脊髄」ということになります。

・エッジコンピューティングの概要
エッジコンピューティング


・エッジコンピューティングの対応範囲
エッジ2

また、Raspberry Piラズベリー パイ)のようなマイコンに、機械学習プログラムを入れて、データを処理させるのも、分散型システムに近いと思います。グーグルもRaspberry Pi機械学習等がつかえるツールを開発しているようです。

ちなみに、脳についてはもっと深い考え方があります。脳は、複雑極まるシステムの中にその働きをコントロールする中心部分があるわけではなく、その意味では脳自身をとてつもない自律分散システムとみることもできるのです。このようにシステムが複雑になればなるほど、中央集権的な仕組みと自律分散的なしくみとが互いに入り組んだ階層的な構造を持つようになるのが自然なのかもしれません。


■人間とテクノロジーの共生、競争
人間とテクノロジーの系が似ている点が感じられましたが、人間とテクノロジーは今後どのような関係になっていくのでしょうか。
これまでの技術の進歩は人間の主要な器官の進歩に似ていると思います。動作系では人間のパワーやスピードを機械はすでに大きく超える状況にあります。また、伝達系では、現在トリリオンセンサープロジェクトというのが発足しているように、あらゆる場所にセンサーが取り付けられかつどれがインターネット上に 繋がって行きます。人工知能についてはどうでしょうか この機能型については昨年AlphaGo が 囲碁のトップ棋士を打ち破るなど部分的に人間を超えつつあります。

ただ、テクノロジーが人間を超えていく、といった議論がありますが、そもそも人間自らがすすんで超えさせようとしているのです。なぜ人間はテクノロジーをさらに進歩させようとするのでしょうか。それは、資本主義という世の中のルールが存在するためです。資本主義のルールの下では、お金を稼いでいくために、生産性の向上が求められます。そのためには、製品やサービスの販売をするにしても、ヒト・モノ・カネ・情報を有効活用する必要があります。その時に、テクノロジーが得意とする「最適化・自動化」の出番になるのです。例えば、アマゾンの倉庫では、ロボットを導入して人を減らすことで、人件費を削減することができ、それが結果として価格競争力やスピード対応による顧客満足度につながります。
このようにテクノロジーの進歩は、資本主義を発展させるための原動力になっています。

見方を変えると、テクノロジーは人間を使って、自らの発展をさせているとも捉えることができます。これを自然界で起こっていることと比較して考えます。

蜂と植物の関係を考えたときに、蜂は花の蜜に誘われて、次々と花に近づきます。そして、蜂が花粉を運び、受粉が行われ、結果としてその植物が繁栄します。
蜂

人間と、テクノロジー(AI, ロボット)の関係を考えると、人間は生産性向上という蜜にさそわれて、IT化等を促進します。そして、AIやロボットを開発し、結果としてAIやロボットが繁栄します。

このように、人間は生産性向上というインセンティブに乗り、テクノロジーの繁栄を手伝っているとも捉えられます。

一方で、AIの発展に警鐘を鳴らす人たちもいます。

The development of full artificial intelligence could spell the end of the human race.
–Stephen Hawking

The development of artificial intelligence, or AI, may be the biggest existential threat humanity faces.
–Elon Musk
 
ここで出てきた話は、AIが人間を襲うかもしれないことがベースになっています。しかし、僕は他にも起こりうる現象があるのではないかと考えています。もはやSFの世界になってしまいますが、人間が自ら進んで姿を消すこともあるのではないかと思います。
具体的には、自分の意識をネットワーク上にアップロードし、物理的な身体と意識を切り離すということです。



かたちあるものは全ていつか消えてしまう以上、人間の不老不死は永遠のテーマです。しかし、意識をネットワーク上においておくことができれば、不老不死は避けることができます。そうやって人間は次々と意識をネットワーク上に置くこともできるかもしれません。
こうして、人間は世界から姿を消してしまうシナリオもできてしまいます。このような状態になってしまうと、世界の歴史を振り返ったときに、人間はテクノロジーが成長するまでの渡過期にのみ存在した、貴重な生物になってしまうでしょう。

■おわりに
以上のようなSF話は想像していると面白かったり、恐ろしくなったりしますが、現在も共通して言えることは、人間がテクノロジーと共生していく必要があるということです。現状としては人間はテクノロジーと良好な関係を築いていると思います。
蜂と花の関係のように、それぞれにメリットがあって共生していくような仕組みを、今後も構築していくことが必要になるのではないでしょうか。


追記:今回のテーマは概念として捉えにくく、それゆえ説明のための文章も少し長くなってしまいました。あと、もっとポジティブなテーマの方がきっとワクワクしますね。